高齢出産で切迫流産・切迫早産で自宅安静となり、仕事も退職に。

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切迫早産の経験談を掲載します。

2015年以降にお子さんを産まれた方のものです。

医学的なことについて知りたい方は、

カテゴリーから気になる記事を読んで下さい。

【女医ブログ】と頭についている記事は、

管理人である医師が責任を持って記載しています。

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第一子の妊娠記録

私は2018年の春に35歳で第一子を出産したのですが、

切迫流産及び切迫早産となり、

妊娠期間のほとんどを絶対安静の状態で過ごしました。

妊娠13週

2017年の8月に妊娠がわかったのですが、

まず妊娠13週となった10月の時点で、

切迫流産と診断されました。

切迫早産の、もっと妊娠週数が

早い段階では切迫流産と呼ばれます。

切迫早産と流産の違いはこちら

当時、派遣で事務の仕事をしていたのですが、

勤務中にトイレに行ったところ、

出血していることに気付いたのです。

量は生理になった直後のような、

おりものシートにおさまる程度でしたが、

鮮血で、拭くとまだトイレットペーパーに鮮血がつき、

止まっていないようでした。

慌てて病院に連絡をして、仕事を早退し

先生に診ていただいたところ、

切迫流産だと診断されたのです。

総合病院ではなく産婦人科だったためか入院とはならず、

自宅での絶対安静を言い渡されました。

「食事、トイレ、洗面以外は常に横になっているように。

お風呂は3日に1回程度。」とのことでした。

また、張り止めと出血を止めるためのお薬を処方されました。

それで1ヶ月様子を見ることになったのです。

お腹の張り

実は私の場合、妊娠した直後から

子宮のあたりに鈍い痛みをずっと感じていて、

そのため、検査薬を使う前から、

いつもと違う様子からおそらく

妊娠しているだろうとわかったくらいでした。

その後も頻繁にお腹の張りを感じていたのですが、

単純に「妊娠しているから出ている症状なのだろう」

と安易に考えていたのですが、

この時先生にお腹の張りと痛みの話をして初めて、

「この時期に痛いというのは、それ自体がおかしい」

と言われ、この症状が切迫流産であることに気付きました。

お腹が張り、胎児を子宮から

押し出そうとしている状態だったのです。

(切迫早産の自覚症状はこちら)

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実家へ

それから1ヶ月は、家事もできず、

主人の仕事の帰りも遅いという状況だったため、

自宅から車で30分程度のところにある

実家で過ごしました。

おかげで絶対安静で過ごすことができたのですが、

1ヶ月後の検診の直前に再度出血してしまい、

更に1ヶ月、自宅安静を続けることとなってしまったのです。

仕事の退職と辛い気持ち

さすがに仕事先は、派遣スタッフだったこともあり、

これ以上迷惑をかけるわけにはいかず、

後任を探してもらい、退職することとなりました。

お腹の赤ちゃんが心配なことはもちろん、

職場にも迷惑をかけ、

気持ちが落ち着かなかったこと、

自宅に帰れず、せっかくの幸せな妊娠期間なのに

主人と一緒に過ごせないことが辛かったです。

それから1ヶ月後の検診でいったん自宅安静が

解除されたのですが、それから1ヶ月間、

仕事はしていないものの専業主婦として

通常の生活をしていたところ、

再び出血してしまったのです。

切迫早産へ

この時点で、切迫早産と診断名が変わりました。

再び薬も処方されました。

この時に処方されたのはウテメリンでした。

それからは自宅で主人と過ごしたかったこともあり、

家事をしないつもりで、実家には帰らず

自宅で安静生活を送りました。

もともと料理や掃除をきちんとやらないと

落ち着かない性格ではありましたが、

可能な限り絶対安静を守りました。

料理ができないとなると、

自分だけの体なら簡単な食事でいいのですが、

お腹の赤ちゃんのことを考えると

そうもいかないため、

母が夕食を分けてくれたりして、

どうにか少しでもきちんとした

食事を摂るようにしました。

また、動くことができないため、

体重管理がとても難しかったです。

食べ過ぎに注意する程度しかできず、

結局出産時には元の体重から

11kg増加してしまいました。

絶対安静を守ることはもちろん、

お腹の張りで常に鈍い痛みがあり、

立ち上がったり、

物を取ろうと手を伸ばすと

痛みがあったりしたので、

赤ちゃんの様子も心配でしたし、

自由に動けない不自由な生活でした。

出産後の慣れない育児は大変でしたが、

この期間を過ごしてきた自分からすると、

好きに動ける産後はずっとマシで、

切迫早産の期間の方が辛かったです。

私は結局そのまま、出産まで

絶対安静の生活となってしまいました。

不安も大きく辛かった中でも、

元気に動く胎動と、優しい主人が心の支えでした。

おかげで無事、生産期まで持ちこたえることができました。

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