切迫早産で自分を責めて、不安と安静の辛さで大爆発!誰かに悪くないって言ってほしかった。

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切迫早産の経験談を掲載します。

2015年以降にお子さんを産まれた方のものです。

医学的なことについて知りたい方は、

カテゴリーから気になる記事を読んで下さい。

【女医ブログ】と頭についている記事は、

管理人である医師が責任を持って記載しています。

今回は第2子の妊娠で、切迫流産/切迫早産の

診断を受け、精神的に追い詰められた方の経験談です。

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お腹が張る・・・。

こんにちは。現在二人の男の子を育てています。

次男の妊娠中のことなのですが、

33週で切迫早産と診断され

自宅安静をよぎなくされました。

ほぼ立ち仕事でフルタイムで働いていた私は、

妊娠初期にも出血などで切迫流産と言われ、

2週間安静にしていました。

その後順調に経過したため、就労の許可が出て、

無理しない程度に働いていました。

32週くらいからお腹がよく張るな、と思い、

休み休み行動をしていました。

まだこの時は、さほど問題視はしていませんでした。

一人目の時はない症状だったのですが、

こんな事もあるのかな、

くらいにしか思っていなかったんです。

病院を受診

日に日にお腹の張る回数が増え、

不安になり受診日でない朝病院に電話をし、

急遽受診しました。

病院内は混んでいたのですが、

早めに中に通されみていただきました。

こんな扱いを受けるって事は、

それだけ緊急性があるのかと、

その時初めてことの重大さに気付きました。

緊張の面持ちでエコーで赤ちゃんを確認し、

内診を行います。

いつもより時間が長く感じられ、

赤ちゃんは無事なのかと

そればかりが気がかりでした。

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切迫早産と診断

診察の結果赤ちゃんは元気だけど、

子宮頚管が短くなっているから

注意が必要だと言われました。

その時、赤ちゃんが無事だという安心感と

これからどうなるのかという不安感が

一度に襲ってきて、頭が真っ白になりました。

張り止めの薬のウテメリン を処方され、

自宅安静を言い渡されました。

勿論仕事も休まなければなりません。

とにかく、トイレとお風呂、食事以外は

動いてはいけないと強く言われました。

母の助け

さあ、どうしたものかと、母に電話をしました。

夫は仕事が忙しく、家事をやる時間がありません。

ここで助けを求められるのは母しかいませんでした。

電車で1時間かけて駆けつけてきてくれた母に

全て家事を任せる事になりました。

自分を責める

私はひたすら横になっているだけ。

寝室で天井を見つめながら、

考えるのは悪いことばかり。

「働き過ぎたのかな、何かいけない動きをしたのかな、

もう少し慎重になって早めに病院に行けば良かったな。」

自分を責めてばかりいました。

何もしないのはかなり苦痛で、

時間が長く感じられ、お腹の張りがくるたび

不安に教われました。

妊娠したらみんなすんなり出産出来ると

勝手に思い込んでいた自分を責めました。

食欲もなく、テレビを見ていても面白くなく

、悶々とする毎日。

週1回の病院で赤ちゃんの無事をか確認し、ホッとする。

子宮頚管が少しだけ長くなったと喜ぶ。

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爆発

こんな日々だったのですが、

さすがにイライラが募り夫が帰ってきた夜に

爆発してしまいました。

「本当は私が無茶をしたから

こんなことになったんだって思ってるんでしょう!

いつも寝てばかりで楽してるって思ってる?

私だって、不安で辛くて気が狂いそう!」

黙って落ち着くまで聞いてくれる夫に

涙ながらに訴えました。

夫は特に否定することなく、落ち着くまで

怒鳴る私の言葉を聞いてくれ、

最後に「○○(私)が頑張ってるの知ってるから。」

と言いました。

「調べたら切迫は母親が悪いわけじゃない。

努力したってなる時はなるんだから、

今出来ることをするしかないよ。

赤ちゃんのためにしっかり食べて、

ゆっくり休む事が今の仕事だから。」と。

甘えかもしれないけど、誰かに

自分は悪くないと言って欲しかったんです。

気持ちがすっきり

泣いたのもあるけど、その一言で

ふっと気持ちが軽くなりました。

残りの日数は寝室ではなく、

日中リビングのソファーで

過ごしたり気分転換をしました。

今まで抱きついてくるからと

遠ざけていた長男に対しても

優しい気持ちになれ、「元気に生まれてね」と

お腹を撫でる温かさに涙がでそうになりました。

母も気にはなってたようですが、

自分から言うのを待っていたようです。

動かないからか食欲はありませんでしたが、

赤ちゃんのためとなるだけ食べ、

目標の38週まで安静を続けようと努力しました。

動かないのも忍耐

動かないのも忍耐です。

結局37週で陣痛がおこり、

緊急帝王切開になったのですが、

小さいながらも元気に生まれてきてくれました。

低体重児だった赤ちゃんも、

今では他の子と同じくらいの大きさまで成長しています。

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